第2章 <雪夜に迷いし者>

 

 その夜は、クアイズにおいては珍しくもない雪の夜だった。刀魔はそんな珍しくもない日常を、いつも通りの帰り道を歩いている。時間も深夜といわれる時間のため、周りに人の気配はない。

 刀魔はこの大陸では、さほど珍しくもない黒髪を伸ばして、右目を覆い、まるで女性のように髪を伸ばしている。やや背が高いものの、目に見えて無駄な筋肉はなく、特徴と言えば全身から醸し出される、肉食獣のような雰囲気だけで、それも気付く人しか気付かない。つまり、普通の人が持つ印象は、何処にでもいるような人間なのだ。

 そんな中、いつもと違う事が起きた。

 光が現れたのだ、刀魔の目の前に。その光はまるで、総ての闇を払うような光でありながら、酷く弱々しく見える。

「…………何や? 人がこれから帰って、ゆっくりしよと思とったとこを……まあしゃあないな、これも『宿命(さだめ)』っちゅうもんなんやろから」

 刀魔は、目の前に起こっている現象に驚きもせず、ただ独特のイントネーションで、ぼやいていた。

 刀魔は、無造作に光の中に手を入れ、何かを掴んだ感触を覚えたと同時に引き抜く。そこには人の手が握られていた。さらに引き抜くと、全身が露になる。

「これが今世の『英雄』か………こいつは何を望むんやろな。………ワイの闇は払ってくれへんかな、やっぱり」

 刀魔は、まるで興味がないような口調で呟くが、その瞳には哀しみの色を秘めさせていた。

 

 

 

 自分が安定してないのを、確かに感じていた。それは夢だからなのか、それとも…………。幾ら考えたところで、今の彼に答えは出せなかった。

「こら!! 起きろ、もう朝だぞ」

 急に彼を呼ぶ声が聞こえ、その思考は中断させられた。

「……………あれ?」

「『あれ?』じゃないでしょ。ホント、ウツロってば寝起きが悪いわね。そんなんで騎士になれんの?」

 彼――ウツロはまだ頭の中に靄がかかったような気分でいる。

「………なんでチサトがここにいるんだ?」

「な!?……………あんたそんな事まで思い出せないの? 病院にでも行く?」

 チサトはそう云いながら、指をパキパキと鳴らす。

「えっと………確かフウマ兄さんがノイレキアスまで行ってって、それにトモエ姉さんが付いて行ってるんだよな………思い出せるのは、そんなもんだけど、やっぱりここにチサトがいる訳は、分からないな」

 ウツロは、本気とも冗談ともとれるような顔で云うと、徐々にチサトの顔が赤く染まっていく。それは明らかに怒りからきているものだった。

「あたしだって、フウマさんに頼まれなかったら、あんたの面倒なんて見に来なかったわよ!!」

 ウツロは、ようやく合点がいったという顔をする。

「………全く、兄さんはいつまで経っても俺を、子供扱いするんだな」

 ウツロは寝癖ではねている髪を、掻きながらぼやく。

「しょうがないでしょ、あんたまだ、子供なんだから」

「じゃあ、何で同い年のチサトに面倒を頼むんだよ」

 チサトの物言いに、カチンとしながらウツロは云い返す。

「あたしは、精神的に大人だからいいの。あんたは精神的にも、まだまだ子供だからじゃない?」

 ここまではっきりと云いきられると、怒るより逆に感心してしまう。

「じゃあ、『精神的に大人』のチサトさん」

「なに?」

 ウツロが急に変な呼び方をするので、チサトはいぶかしんだ。

「そろそろ着替えたいんですけど………云ってる意味解りますよね? まあ、『精神的に大人』のチサトさんは、構わないかもしれませんが、私はまだまだ『精神的に子供』なんで、恥ずかしいんですけど……まあ、チサトさんがどうしても見たいと云うなら、私も我慢しますけど」

 ウツロは、意地悪そうな笑みを浮かべながら云うと、チサトは顔を赤くして部屋から出て行く。

 ウツロは、チサトが部屋を出て行くのを見送り、ベットから這い出す。

「まったく、十四になってもまだ、子供扱いかよ。来年には騎士として、城に上がるって云うのに」

 ウツロはフウマに、未だ子供扱いされているのが気に食わなかった。

―――確かにフウマ兄さんは、ライガさんと一緒に最年少で魔法騎士団に入って、活躍した立派な人だと思うけど………任期が終わると同時に辞めて、今じゃこんな片田舎で年金生活だもんな。いつまで経っても、トモエ姉さんと結婚しないし……何を考えてるのか、わかんないな。まあ、そのお陰で、俺やトモエ姉さんがこうして生きて行けるんだから、文句は云えないけどね。

 ウツロは実は、フウマとは血が繋がってはいない、まして姉と呼んでいるトモエでさえ。

 ウツロとトモエは、フウマの初陣の際の被害にあった村の生き残りだった。別にウツロは、トモエとその頃から仲が良かったわけではない。ただ、こういう人がいるんだな程度にしか知らなかった。

 然し、『魔獣』と呼ばれる獣に村を襲われ、気付いたときにはトモエと二人っきりになっていて、もう後がないと思ったときに、フウマが駆けつけて助けてくれたのだ。トモエはその際に声を失い、フウマが何故かウツロ共々引き取った。

 その理由も、ウツロはすぐにわかった。フウマは寂しかったのだ。あとで聞いた話しだが、フウマもウツロ達同様、『魔獣』に両親を殺されたらしい。ウツロはそんな事を聞かずとも、フウマの瞳を見てわかっていた。あまりに暗い光を湛えていたのだ。

―――あの時のフウマ兄さんは、クールでカッコ良かったけど、一緒に暮して見ると、何を考えているかよくわからない変人だもんな。トモエ姉さんも、よくあんなのに惚れたもんだ。まあ、トモエ姉さんもある意味変わり者だから仕方ないか。

「ウツロ〜、まだ〜?」

「今行く」

 ウツロはそう答え、急いで身支度を整えて、リビング兼ダイニングに入る。

「ん?……何だ、この匂い?」

 ウツロは部屋に入った途端に広がる、今まで嗅いだ事のない匂いに顔を顰めた。

「あっ、もうすぐ出来るから待ってって」

 チサトはウツロが入ってきたのに気付くと、笑顔でそう云う。

「………この匂いについて、何かコメントはないのか?」

 ウツロの言葉に、チサトは振り返りもしない。

「なあ、何か云えよ」

「………………」

「………俺が作ろうか?」

 ウツロは、始めて嗅いだチサトの料理の匂いに、難色を示しながら云う。

「いいの!! あたしが作るんだから!!」

 チサトはウツロの言葉で、引っ込みがつかなくなり、意地を張っていた。

「………まあ、頑張ってくれ……………胃薬、何処置いてたっけ?」

 チサトの好きにさせる事に決めたウツロは、唯一の生命線になるであろう胃薬を探し始める。

「うちのお父さんがよく飲んでるので良かったら、持ってきてるけど…………」

「……何でそんなに準備がいいんだ? 第一よく使ってるって、そんなに胃が悪いのか、親父さん?」

 あまりの手際の良さに、ウツロは不安を隠せない。

「ううん。普段はそんなでもないけど………あたしの料理を食べた日だけね」

 チサトは云い辛そうに云うと、ウツロはこれから起こる惨事を思ってげんなりした。

「そんなんで、よく俺に作ろうと思ったね」

「いや〜、だってフウマさんに頼まれちゃったし………それにウツロなら大丈夫かなぁって」

 チサトは悪びれもせずに答える。

「………さて、出掛けて来るかな」

 ウツロは、チサトの言葉を聞かなかった事にして、逃げようとした。

「何処に行くって云うのよ? もうすぐできるのに」

「食えるか!! んなもん。自信があるとか云うならまだしも、『ウツロなら大丈夫かなぁ』だって!? 人をなめるのも大概にしろ!!」

「じゃあ、『ジシンガアル』だから食べて」

 チサトは、ウツロに云われた事を棒読みで繰り返す。

「………じゃあな。暫らく戻らないから、もう来なくて良いぞ」

「なによ、『自信がある』って云えば、食べてくれるって云ったじゃない!! 騎士たる者、婦女子に優しくしなきゃいけないってフウマさんに習わなかった?」

「俺はまだ騎士じゃないし、第一、騎士はまず自分の身体を、常に万全な状態にしなきゃいけないんだぜ」

 ウツロはそう云うと、外へ出ようとしたが、チサトがウツロの腕を掴んで離さない。

「はなせ!! 俺はまだ死にたくないんだ!!」

「なによ失礼ね!! 死にはしないわよ……多分」

「多分ってなんだ、多分って!!」

 ウツロはチサトを振りほどこうとするが、チサトはウツロの腕を抱え込むようにしているため、そう簡単にはいかない。まあ、ウツロが本気で振り解こうとすれば、出来るのだろうけど、腕に当たるチサトの薄い膨らみのせいで、ウツロは思春期の少年らしくドギマギして、力を出せずにいた。

 ウツロとチサトがそんな事を続けていると、玄関を開け誰かが大慌てで、リビングへと入ってくる。

「すいません!! フウマさんは?」

「フウマ兄さんなら旅行中だよ。何かあったの?」

 ウツロは急な侵入者を、何事もなく受け入れ事情を聞く。

「そ、それが……森の方で旅人が、山賊に襲われているんです」

「森のどの辺?」

 ウツロは物置から、自分の剣を出しながら聞いた。

 ウツロの剣は長騎剣と云われるもので、その剣は馬に乗っても扱えるようにと、槍ほどの大きさがある。然し、そのあまりの大きさの為、よっぽどの名工が作らなければ、すぐに折れてしまう代物で、例え折れない物でもその重さゆえ、扱う者は殆どいなくなっていた。

「街道にほど近い辺りです」

「わかった。俺が行くから、村の人には心配するなっていっといて。絶対に、ここまで来させないから」

 ウツロはそれだけ云うと、家を駆け出ていく。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 ウツロの後を追いかけ、チサトも走り出す。

 

 

 ウツロは街道から森へと入り、地面に残っている足跡を追って駆けていた。その途中途中に、山賊のものと思われる死体が幾つも転がっている。

―――何か、俺が行く必要も無さそうな気がするな。ここまで村から離れていくと………。

 そう思いながらもウツロは、スピードを緩める事をしない。暫らく進むと、数人の男の後ろ姿が目に入る。ウツロは剣を鞘から抜き放ち、男達を追い抜いていく。その先には、マントを頭からすっぽりと被った人物がいた。マントのせいで、性別や体格などは正確に解らない。

「あんた、何やらかしたんだい? ここまで山賊を怒らせるなんて……」

「絡まれたんで、ちょっと相手をしたら、どんどん増殖してね」

 マントの人物は、男の声でそう答える。その声には自分に非があるとは、微塵も思ってないようだ。

「………あんた、結構過激だね。…………まあいいや。後ろの連中は俺が排除していいな?」

 ウツロは返事を聞く前に振り向き、一人切り捨てる。

「光よ!! 弾けろ!!」

 ウツロが『力ある言葉』を唱えると光が生まれ、それはウツロが敵と認識している者へと、分散して飛んでいき、そいつらを貫いた。

「まあ、こんなもんだろ」

「助かりました」

 マントの男はそう云って、ウツロに頭を下げる。

「俺が来なくても、なんとかなったんじゃないのか?」

「いいえ、どうも僕は力の加減というものが苦手で……」

 男は恥ずかしそうに云うが、ウツロは男に対して警戒心を解く事はなかった。

「あんた、何者だ? ここに来るまでに、幾つもの死体があった。それはあんたの仕業だろ?」

「………確かにあれは僕がやりましたが、貴方だって出来た事でしょう、あの程度」

 確かにウツロにだってあの程度の事は、やってのけるだけの力量はあった。然し、ウツロの中の何かが、この男に対して違和感を感じさせられている、そう普通の人ではない何かを。

「今まで走っていたのだって、敵を個別に倒す為だろ?」

「………その通りです」

 男は流石に、何時までも自分に向けられる敵意に、警戒心を新たにする。

「はぁ!!」

 ウツロは短い呼気と共に、男に斬撃を繰り出す。頭上から迫る刃に、男は自分の武器を素早く抜き放ち、受けとめる。

「双剣か………お互い、この場所じゃ向かない武器みたいだな」

 男の武器は、双剣といわれる、柄の両端に刃があるもので、さらに男の双剣は両刃とも長剣と同じ位の長さがある。

「じゃあ止めましょうって訳には、いかないみたいですね」

「当然」

 ウツロは長騎剣を、まるで手足のように扱い、攻撃を繰り出す。男もそれを辛うじて、受け流している。お互いの力は拮抗していて、なかなか決め手がない。

「光よ! 貫け!!」

 ウツロは攻撃の合間を縫って、『力ある言葉』を放つ。それによって生み出された光は、真っ直ぐ男へと向かって伸びていく。

 然し、光は男を貫くなく消滅した。

「!?…………『アンチスペル』」

 ウツロは、男の前で光が消えた事に驚き、一瞬の隙が出来た。男はその隙を見逃すことなく、攻撃を繰り出す。

「っく!!」

 咄嗟に身を捩り、男から繰り出された突きをかわすが、直撃を免れただけで、ウツロの脇腹に確かな傷が生まれる。

 お互いの力が拮抗しているだけに、その傷は例え小さなものだろうと、大きな差になる事は間違いなかった。

「貴方の属性は光のようですが、僕には魔法自体効きません」

 男はそう告げるが、ウツロは諦めはしなかった。

「我が魂は輝きを放ち、希望を生み出す。すなわち我が肉体は光なり!!」

 ウツロがさっきとは、明らかに違う『力ある言葉』を放つと、ウツロの身体は光と共に消えてしまう。そして一瞬のうちに、男の頭上に現れる。

「雷よ! 裁きを!! そして、風よ! 戒めとなれ!!」

 ウツロは広域攻性魔法の『力ある言葉』を放つと同時に、男が動けないように新たな『力ある言葉』を紡いだ。これはウツロが誇る必殺の組み合わせだった。

 男は、避けようのない攻撃に飲み込まれ、爆煙の中に姿が見えなくなる。

「幾ら『アンチスペル』の使い手でも、これで終わりだろ」

 ウツロは、そう自分に言い聞かせながらも、爆煙から目を離さない。

「流石に今のはきつかったですね。まさか、貴方の属性が『空』だとは思いませんでした」

 男は満身創痍になりながらも、姿を現した。

「………化け物かよ」

 ウツロは男に対して、長騎剣を構え直す。男もそれにならい、ウツロに双剣を向ける。

 お互いの状態から考えて、繰り出せる攻撃は一撃、つまり次の攻撃で総てが決まる。

「はぁ!!」

「ふっ!!」

 お互いの攻撃のタイミングが、完全に一致した。より強い攻撃を繰り出した方が生き残る。

「土よ! 阻め!!」

 辺りに第三者の声が響き、ウツロと男の間に土の壁が出来あがった。

「いだっ」

 ウツロと男は、突如現れた壁に対応できずに、顔から突っ込んでしまう。

「もう!! 何やってるのよ。ウツロ、あんたなんでこの人と戦ってるのよ? 明らかに山賊じゃないでしょ? しかも、かなり大掛かりな攻性魔法まで使ちゃって。この後始末、どうすんのよ」

 ウツロと男の戦いを、邪魔したのはチサトだった。チサトは男に目もくれずウツロを非難する。

「馬鹿野郎!! その攻性魔法も防ぎ切った奴なんだぞ」

 ウツロはチサトの理不尽な攻めに、腹を立てて云い返す。

「そうなの?」

「………ええ、そうですけど」

 男は不意に現れた乱入者に、戸惑いを隠せない。

「でも、貴方が来てくれて良かった。このままじゃ、どちらかが死んでいましたからね、下手をすれば、両方とも死んでてもおかしくない。僕もそうなりたくはなかったんで、本当に助かりました」

 男はチサトの存在に気を許し、双剣をしまう。

「何? じゃああんた、問答無用で切りかかったの?……何考えてるのよ!! もしこの人じゃなかったら、あんた殺人者よ」

「こいつじゃなかったら、攻撃してねぇよ」

 ウツロは不て腐れながら答える。

「そんな言い訳して!! 謝りなさいよ!!」

「…………悪かったな」

 ウツロはチサトの剣幕に押されて、渋々頭を下げた。

「いえ、気にしないで下さい」

「本当にごめんなさいね。えっと……お名前は?」

「フォースです」

 

Scene2