「エルスリードが勝手に動いたようですね」
「それも許容範囲内のことよ。そうでしょう、ジェイク・ラムサール」
「ああ、その通りだ」
薄暗く広い一室に、男二人と女が一人いる。
「許容範囲内ですか? エルスリードの存在自体イレギュラーなのに?」
「エルスリードの存在はイレギュラーだが、それがプラスになってもマイナスになる事は無い」
ジェイクは普段見せないような、低く冷たい声で応える。
「まあね。今回は、向こうの手勢は極端に少ないわ。楽な仕事になりそうよ」
「それが逆に怖いのですが………」
「どうして?」
女は不思議そうに聞き返す。
「一番大切な場面で裏切られたら、どうするつもりです?」
「大丈夫だ。あれは裏切ることはしない。人質がいるからな」
応えたのは女ではなく、ジェイクだった。
「そして、その人質が自我もなく、ただあたし達に従っている。どうやっても人質を取り返す事は出来ないわね」
「しかし、万が一ということがあります。私はあの場面に、彼らを起用するべきでは無いと思いますが」
「心配性ね。そんなんじゃ禿げるのも早いわよ」
「心配するのが私の仕事です」
女の戯けた言葉に、男は生真面目に返す。
「しかし、確かにお前の云う通りだな。どうだろう? 一度あいつ等を試してみては………」
「試す? どうやって?」
「あいつをクルスと接触させる」
「そんなことする必要はないわ。時間の無駄に終わるだけ。それよりもっと有効的な使い方をしましょ」
女は口の両端を軽くあげ、笑みをつくって見せるが、その瞳は極端に冷たい色を示している。
クルスは与えられた自室で、ベットに横になりながら、ぼんやりと天井を見ている。
(ガイア・アースライト……………何処かで会ったことがあるような気がする。…………会社の社員か? 違うな、あんな名前の社員はいないはず。偽名を使っていたら…………そんなことを考えたら限(きり)がないな)
クルスは、さっき助けてくれた謎の女性のことを考えていた。光が奪われた瞳に、おぼろげながら残っている姿を思い浮かべて………
(髪はそんなに長くない。色は茶色っぽい気がしたな。目は分からないけど…………そんな人いっぱいいるよな)
クルスは頭を掻き毟りながら、賢明に自分の記憶を掘り起こしていく。
(『力』を持っている人…………たとえ持っていても、そんなの人には話すもんじゃないよな。シルフィか? シルフィは『力』を持ってる。しかも、刀魔さんの云っていた属性に当てはまらない『力』を…………僕らを偽って属性を…………有り得ないな。そんなことするメリットが何処にある? それにあの声はシルフィじゃなかった。もっと昔だ。きっともっと昔に会っているんだ)
クルスは徐々に昔の自分の記憶を引き出していく。
(僕の結婚式の時の招待客か? 違うな、もしそうならここにいるわけがない。ここはいわばスラム街。こんなとこに招待客がいるのは不自然だ。じゃあ、もっと昔、E・Sの仕事を始めてやった時の救助者の中か? いや、違う。あの時はクレオしか救い出せなかった。じゃあ、僕が始めて社交場に出された時か? …………そんな昔のこと覚えてないな)
クルスは考えても出て来ない答えに諦め、身を起こした。
『プロフェッサー』
クルスの頭にその言葉が浮かんだ。然し、それはけしてクルスの声ではなく、全く聞いたことのない男の声だった。
『プロフェッサー、起きてください』
クルスはその声と共に、意識が深淵の深い闇の中に消えて行く。
「プロフェッサー、起きてください」
「ん? なんだ、ユージュ君か。如何したんです?」
プロフェッサーと呼ばれた男は、草原に生えている大木の太枝の上に横たえた身を起こす。
「またこんな所にいて………ドクターが呼んでますよ」
「ルナが?…………今、何時?」
「もう三時を回ったところです」
「やば!! 何でもっと早く起こしてくれないの!?」
プロフェッサーは慌てて太枝から飛び降りた。
「プロフェッサーがこんな所にいるから、見付けられなかったんじゃないんですか」
「こんなとこってレストルームじゃないか。別にいても不思議はないでしょう」
「レストルームでもホログラムの木の枝で寝てるなんて思いませんよ。また、勝手に改造しましたね」
「そうなんだよ。これって結構難しくてね」
「それより急がなくていいんですか?」
嬉々として語ろうとするプロフェッサーの言葉を遮る。
「…………いいや。もう一時間も過ぎてるし、僕がいなくても話は進んで、きっと終わってるよ」
「そんな甘くないと思いますよ。第一、今日は会議じゃなくて何か三人で作業をするって話しでしょう」
ユージュは呆れたように云い返すと、背後に新たな人の気配が現れた。
「その通りよ。ウラノス、こんな所にいたのね」
「マスター,ガイア!?」
「リク、何でこんなとこに? この船の最高責任者である君が、こんなとこで油を売ってちゃいけないな」
急に自分とウラノス以外の声が聞こえ、驚くユージュに比べ、ウラノスは気付いていたのか、驚いた様子は微塵もない。
「御忠告痛み入るわ。でもね、油を売ってるわけじゃないのよ。この船のブレインと云うべき人物を探しているの」
「へぇ。でもそんな立派な人、こんなとこにはいないと思うな」
「目の前にいるわよ」
「気のせいだよ」
「いいからアルテミスのとこにいくわよ」
ガイアはウラノスの首根っこを掴み、引き摺るようにして歩き出す。
「あ、こら、そんなことしなくてもちゃんと歩くから」
ウラノスは大して抵抗もせずに、ガイアに引き摺られるまま歩く。
ユージュはそんな彼らを見送るだけで、付いて行こうとはしなかった。
「遅いわよ」
アルテミスは、作業を続けながらウラノス達の方を振り向かずに云う。
(やっぱ怒ってるよ)
(そりゃ怒らない方がどうかしてるわよ)
「そこでコソコソ話してないで作業しようとか思わないの?」
アルテミスは感情のない声で云うと、ウラノス達は慌てて自分の席につく。
「………あの〜、作業はどの辺まで進んだんでしょうか?」
ウラノスは恐縮したようにアルテミスに声をかける。
「貴方が提示した遺伝子情報を、それぞれのガーディアンユニットに組み込んだところよ。プロフェッサー,ウラノス・スカイライン」
「そうですか。それは有り難うございます。ドクター,アルテミス・シークレスト」
ウラノスが恐縮したように応える。
その後暫らく、辺りにキーボードを叩く音と機械音だけが響き、会話は何もなかった。
「ねえ、貴方達。何か云う事はないの?」
痺れを切らしたようにアルテミスが口を開く。
「何かって云うと?」
「そんなこと言わなければ分からないの? マスター,ガイア・アースライト」
アルテミスは皮肉の意味をを込めて、ガイアをフルネームで呼んだ。
「え〜と。僕は何となく分かったけど………」
「分かったけど? 何?」
ウラノスが何か云おうとしたが、アルテミスの迫力に負けて口を噤んだ。
「ルナ、遅れて申し訳ありませんでした」
ウラノスが素直に謝ると、アルテミスはようやく笑顔を見せる。
「でも、いい加減私のことを『ルナ』って呼ぶの、やめてくれない?」
「いいじゃない。その方が呼びやすいんだし。僕のことも『ソラ』って呼んでいいって云ってるでしょ」
アルテミスは呆れた顔をして諦めた。ウラノスがこういう時、けして自分の意見を曲げることがないことを知っていたからだ。
「もういいわ。で、ガイアは?」
「あたしはしょうがないじゃない。この船の責任者なんてもんになってるんだから。さっきも急に仕事が入って………」
「……………」
アルテミスは笑顔を崩さずにガイアを見ている。
「ごめんなさい」
アルテミスの醸し出す雰囲気に、いた堪れなくなりガイアも謝った。
「宜しい。じゃあ続けましょうか」
アルテミスは柔らかい笑顔を浮かべる。
『クルス、どないしたんや?』
(え?)
「どうかしたの、ウラノス?」
「いや、やっぱり仲がいい事は良いことだなって思ってね」
「元はと云えば誰のせいか分かってんの?」
「皆のせいでしょ」
ウラノスはしれっと応える。
(僕はそんな事は云ってない)
『クルス、寝とんのか?』
「まったく、あんたがそう云う性格だから、あたし達が苦労するのよ」
「そうなの?」
ガイアの言葉を確認するようにウラノスはアルテミスに尋ねた。
アルテミスは言葉では返さず、ただ頷いて見せる。
「そうかぁ。ま、これが僕だからしょうがないよ」
(違う。これは僕じゃない……………いや、これが僕なのか? 大体僕は誰なんだ?)
『クルス、はよ起きんかい!!』
クルスは静かに瞼を開け、覗き込んでいる人物の顔を見た。
「………ライガ隊長?」
「クルス?」
刀魔はクルスの発した言葉に、らしくなく過敏に反応する。
「いや違う。シエル? じゃない、刀魔。刀魔・村雨」
「どうやら記憶が混乱しとるようやな」
刀魔はクルスの様子を冷たい目で見ていた。
「僕はクルス。クルセード・エルサレム。………本当にそうなのか?
僕はウツロ、エルサリア王国プリンセスガード。
…………アシュフォード・カーラル・アズウェルト。北方に位置する亡国の王子。
…………フォース。力の管理者。マスターガイアに従うもの」
クルスは一頻り云い終わると、今までとは打って変わって俯いたまま黙っている。
「落ち着いたんか?」
刀魔がクルスを見下ろしたまま呟く。
「…………ええ」
クルスは力なく応える。
「そうか、ならええ。今やりたいことは?」
刀魔はそんなクルスの様子を気にしていない。
「エルサレムに帰ります」
先程同様、言葉には力がないものの、けして揺らぐことのない決意が感じられる。
「そこにおるんか?」
「はい、おそらくは………」
「じゃあ、丁度いい奴がおる。紹介したる」
「お願いします」
クルスは刀魔の言葉に深く考えずに甘えることにした。
「あの〜、クルスさん大丈夫ですか?」
フィリアが遠慮がちに、クルスの部屋のドアから顔を出す。
「!? フィリアさん。どうしました?」
急に声をかけられてクルスは驚く。
「あの、何か凄い声が聞こえたんですけど………」
「それはすいませんでした」
「別に良いんです。気にしないで下さい。ただ、クルスさんに何かあったのかなって思っただけですから」
フィリアが恥ずかしそうに応える。
「心配してくださって有り難うございます」
「何か随分他人行儀な気がしますが如何したんですか?」
いつもと違うクルスの様子に、フィリアが不思議に思う。
「しょうがないですよ。僕達は他人なんですから」
クルスが冷たくそう云い放つと、フィリアはショックを受けたように部屋から飛び出した。
「随分酷い事を云うな?」
「僕達に関われば、フィリアさんの命は危ないですから。貴方もそれが分かっているから、必要以上にシャリアさんに近づかないんでしょ」
「……………………」
クルスの問いに刀魔は沈黙で応えた。
「じゃあ、案内してください」
クルスはそう云って立ち上がり、部屋から出る。
部屋の外にはシャリアが立っていた。
「あんたが何を考えているか知らないけど、今度フィリアに何かあれば、私の全てであんたを殺してやるから」
シャリアはそう云うとクルスの頬に平手を放つ。
クルスはその平手を避けようともせずに打たれた。
「これは今、フィリアを泣かせた分だから」
シャリアはそう云ってクルスから背を向けて歩き出す。
その後ろ姿にクルスは何も云えず、ただ頬に残る痛みを噛み締めていた。