「落ち着いたか?」
ハーティはクレオが泣き止むのを待って、そう声をかけた。
「すいません。こんな取り乱したところ見せちゃって」
クレオは恥ずかしそうに俯いて応える。
「しかし、少しビックリしたな。エルサレムの御息女がそこまで取り乱すとは」
「え!?」
クレオは予想外の言葉に驚く。
「貴方がそんな事云うとは思わなかった。それにボクは………元々エルサレムにいる事すらおかしい人間なんだ」
「? どういう事だ? お前はクルセードの妹なのだろ、何処がおかしい?」
クレオの言葉に、事情の知らないハーティは納得できずに聞き返す。
「……………ボクは元々お父さんにもお母さんにも捨てられたんだ」
クレオは少し迷ったが、意を決して口を開く。ハーティはクレオの告白に、何も云わずに次の言葉を待った。
「でも、ボクは生まれながらにかなり高いマナを持ってたからラムサールの実験体として売られたんだ。それが5年前の事」
クレオの顔は徐々に沈んだものへと変わっていく。
「それからすぐだったなぁ。その施設がE・Sによって襲撃されたの」
「E・S……エルサレム・セキュリティか。とするとその事件は『シークレット・ヴァニシング』」
ハーティはポツリと呟く。
「そう、周りからはそう云われてるみたいだね。今じゃその研究所は跡形もなく消滅しちゃった」
「………?! それをやったのはまさかクルセードなのか!!」
ハーティはつい最近自分が似たような現象を見た事を思いだし、思わず叫んでしまった。
「………お兄ちゃんはまだその事を悔やんでる。そしてボクも………あそこにはボクの友達もいたんだ。それなのにボク一人だけ生き残った。それもこれもこの『コクーン』のせい。お兄ちゃんがその時『コクーン』を暴走させたように、ボクも『コクーン』を暴走させたんだ!! そのせいでボクだけは消滅の力を相殺させて生き残った。アリアだけ死なせてボクだけが生き残るなんてやだよ」
その言葉の最後の方は涙を含んだものに変わっている。
「!? アリアだって!! その人のファミリーネームは分からないか!?」
クレオの言葉に急にハーティが取り乱し始める。
「え? ファミリーネームは知らないけど確か……中央大陸の北にある企業から出向して来たって。お姉さんと妹がいるって云ってたけど………ボクの監視役だったんだけどいい人だった。友達だったんだ」
クレオは言葉を紡ぐごとに涙を流していく。
「…………アリアが死んだ…………まさか、あの娘は私達姉妹の中でもっとも優しい娘だったんだぞ!! それが何故!? 戦いに身を置いている私達なんかよりずっと生きなければならない人間なのに」
クレオの言葉にハーティは涙を流しながら呟いている。
「…………頼む。お前には辛い事だとは思うが、その時の事を聞かせてくれないか?」
クレオはハーティの言葉に深く頷き、口を開く。
その日クレオは近所に住む友達と遊び、夕方に家に帰った。
家に着いてみると、そこには見知らぬ黒服の男が二人いて、クレオの両親に大金を渡しているところだった。
クレオはスラム街に住む少女だった。その頃はまだ幼く、美しさと云うものには無縁だったが、年相応の可愛らしさをもっており、将来はきっと美人になると近所でも評判だった。この娘は将来高く売れると………
男達はクレオに気付き、近付いて来る。
「ほう、紅の『魔眼』か。確かにお前達の云う通りマナが高いな。いいだろう。そっちのいい値で買ってやる」
「あ、有り難うございます」
両親は男達にぺこぺこと頭を下げ、嬉しそうに笑う。
クレオは何の話しか見当も着かず、両親と男達のやり取りをただ見ているだけだった。
「さあ、来い。今日からお前は我々のものだ」
男はそう云ってクレオの腕を掴み、連れて行こうとする。
クレオは懸命に抵抗するが、大人と子供では力の差が歴然としていた。最後の希望を込めて両親を見るが、男達に渡された金を数えるのに夢中でクレオのことなど見向きもしない。
クレオはその日から家に帰る事は出来なくなった。
それからのクレオは人としては扱われず、モルモットとして生きていた。
毎日毎日よく分からない機械にかけられ、苦痛を与えられ、クレオの精神状態が異常に来たすのに時間はいらなかった。
「まだ目覚めないのか?」
そんな声が研究所に響く。
「はい。あらゆる手段を講じていますが………」
「紅の『魔眼』………カリンの生まれ変わりか」
その声の主は感情の欠落した声で云うと、クレオの姿を冷やかに見ている。
クレオは機械に与えられる苦痛の為意識が朦朧とし、男の顔を見ることが出来なかった。
「拙いな。このままでは覚醒する前に精神崩壊を起こすぞ」
「しかし、プロトワンの時にはこの方法で目覚めることが出来ました。もう少し続ければきっと」
研究員は、自分の研究成果を否定されているかのように思ったのだろう、男の言葉に少し反抗した。
「何事にも個人差と云うものがある。ここで死なれては本末転倒と云うものだ。あれには少し人間らしい生活を送らせてやれ」
男はそんな研究員のことなど、まるで興味がないように言葉を紡ぐ。
「しかし、今でさえ研究は遅れてがちになっていますからこれ以上の遅れを出すわけには」
研究員はなおも食い下がろうとする。
「私の命令が聞けないと云うのかね?」
「いえ、そう云う訳では………」
男の一言に研究員は竦み上がった。
それから数日はクレオは実験されることもなく過ごしていた。
そしてクレオが割り当てられた部屋に彼女がやってきたのだった。
「こんにちは。今日から貴方と暮すことになったアリアよ。宜しくね、クレオちゃん」
人懐っこい笑みを浮かべ、アリアと名乗った女性はクレオに近づいて来た。
クレオは彼女の方を見る事無くただぼうっとしていた。
アリアもそれ以上クレオに何か聞こうとはせず、ただ自分のことを話していた。クレオはそんなアリアの話をろくに聞かずにいた。
そんな日が何日も続いた。ある日クレオが始めてアリアに向かって口を開いた。
「何でそんなにあたしに構うの」
クレオは感情のない声でそう聞くと、アリアは少しも悩んだようすも見せずにこう応えた。
「ほっとけないから。………クレオちゃんの目、凄く寂しそうなんだもの。ほっとける訳ないよ。私はクレオちゃんが何をしてるかは知らないけど、元気付けてやってくれって云われたし、なんか私の妹みたいでほっとけないのよ」
「妹?」
「そう、私にはお姉ちゃんと妹が一人いるの。どっちとも無愛想で、なんか私だけ浮いてる感じがする家族なんだけど、二人とも凄く優しいの。それでね………」
アリアの話はなおも続いた。クレオは今までとは違いその言葉一つ一つに耳を傾けていた。
その日を境に、クレオはアリアとよく話すようになった。
それはちょっとしたことだったが、クレオにとっては幸せな時間だった。
そんな時間が壊れる日が来た。その研究所をE・Sが襲撃したのだった。
元々この研究所はエルサレムに登録していない、ラムサールの違法研究所で、クレオ達のような子供をさらってきては死ぬまで研究を続けていた。
それがわかったエルサレムは急遽E・Sを送りこんだのだった。
「クルス、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
クルスは同僚のライラの言葉に軽く頷く。
「なんか憎らしいほど落ち着いているわね。私が初陣の時は緊張してそれどころじゃなかったってのに………」
「人それぞれですよ。それに初陣とは随分古い言い回しですね」
クルスは冷たくそう返す。
「いいじゃない私がどんな言い回しを使おうが、第一あんたは……………まあ、いいわ。それより作戦は覚えてる?」
ライラは何か云いかけようとして止める。
「僕達が正面から忍びこんで敵を陽動し、その隙にエクスが犠牲者を助ける。まあ、効果的な作戦かもしれないけど、少なくとも三人でやる作戦にしては無茶な気がするかな」
クルスが正直な感想を洩らす。
「大丈夫よ。E・Sの中でも精鋭中の精鋭。ファーストチームがやるんだから」
「その過信が足元をすくいますよ」
クルスがライラの言葉を冷めたいい方で返す。
「ホント憎らしいわね」
「それだけ信頼しているんですよ、貴方を。…………時間です。もう行きましょう」
クルスは少し照れくさそうにそう云い、目の前の建物へ向かって走り出した。
「前言撤回。ホント可愛いわ」
ライラはそう呟いてクルスの後を追った。
建物の内部ではすでにクルス達の進入を感知し、警戒体制が敷かれていた。
「クレオちゃん。逃げましょう」
「何が起きたの?」
「分からないわ。でも危険なことは確かよ」
アリアはそう云ってクレオの手を掴むと、外へと歩き出した。クレオは何がなんだか分からずアリアのされるがままになっていた。
「ちょっと待て」
二人に声をかける人物がいた。
「私はエルサレム・セキュリティファーストチームリーダー、エクシード・フォルクス。貴方達の素性を明らかにしてもらいたい」
エクスはそう云って身分を証明するIDカードを見せる。
「私はアリア、この娘はクレオ。この研究所の職員です」
アリアが慌てて応える。
「ここが何の研究をしているのか知っているか?」
「………いいえ」
アリアはエクスの問いにやや迷ったが正直に応えた。
「………じゃあ、ついて来てくれ。出口まで誘導する」
アリアは何のことか分からなかったが、素直にエクスに従った。
「ここは何の研究をしていたんですか?」
「………知らない方がいい」
エクスは素っ気無く応える。
アリアはこの異常な状況に戸惑ってか、エクスにそれ以上話しかけようとはしなかった。
「この道を真っ直ぐ行けば、我々が進入して来た通路に出る。そこにはほかの職員達もいるはずだ」
エクスはそれだけ云うと来た道を戻る。
「………なんか、随分と無愛想な人だったわね。さ、行きましょう、クレオちゃん」
アリアはそう云ってクレオの手を握り、エクスに教えられた道を歩き出す。
暫らく行くと、クレオ達の前に一人の男が立ち塞がった。その男は、クレオの実験に関わっていた研究員だった。
「折角見つけたモルモットだ。そう簡単に逃がしてなるものか」
男は正気をなくした顔でそう何度も呟く。
そして手に持った銃でクレオを撃った。
しかし、その銃弾はクレオを捉える事はなく、目の前に急に現れた壁が防いだ。
「クレオちゃん、大丈夫?」
アリアがクレオを抱きしめながら聞く。クレオはその言葉に応えることが出来ずに、自分のお腹の辺りを少しずつ濡らして行く液体を感じていた。
「よかった」
アリアはそう呟くと支えをなくしたように倒れた。
「いや………いや……いや…いやいやいやいやいやいやいやいやいやぁぁぁぁぁ」
クレオはアリアの身体を揺すりただそう呟く。そしてクレオの身体に淡い紅の光が纏わりつき始める。
「そうだ!! 私はこれが見たかったのだ。ひゃは、ひゃはははははは」
男は狂ったように笑いつづけた。
クルスとライラは研究所の警備用のファミリアを次々と破壊しながら通路を進んでいた。
「これじゃあ、限がないわね」
ライラは倒しても倒しても数が減っていないように見える敵に対して愚痴をこぼす。
「相手がファミリアだと恐怖も感じてくれませんから、数が多いと始末に負えませんね」
クルスは現れるファミリアを次ぎから次へと的確に額を撃ちぬきながらライラの愚痴に応えた。
「あんまり困っているようには見えないわね」
クルスの余裕な顔にライラが云うと、クルスは肩を竦めるだけで何も云わない。
そんなやり取りをしていると急に壁から手が突き出て、クルスの首を掴み締め上げる。
「っぐ!?」
クルスはいきなりのことで反応出来ずに締められるままになる。
「クルス!?」
ライラ驚きながらもクルスを掴んでいる手に対して銃弾を放つ。
然し、その腕はライラの放った銃弾を弾き返した。
「!?」
ライラは立て続けに銃を撃とうとしたが、新たにファミリアが大群で現れクルスに構っていられなくなった。
「クルス、プロなら自分で何とかしなさい」
ライラはそう云うと、ファミリアの大群がクルスに近付かない様に迎え撃ちに行く。
クルスは遠退いて行こうとする意識の中でその言葉を聞き、ただ生きたいと願った。
そして辺りが静寂に包まれていく。
クレオは自分の知っていることを自分の知っている言葉でハーティに話した。
「………………」
話し終えた後でもハーティは中々口を開こうとしない。
「ボクがいけなかったんだ。ボクがもっと早く力に目覚めていれば」
クレオは口惜しそうに下唇を噛む。
「………気にするな、とはいえないな。もっとアリアのことを気にしてくれ。だが、お前もクルスももうアリアを引き摺るのを止めてくれ。逆にあの子が可哀想だ」
ハーティはクレオの頭を優しく撫でながらそう云った。
「それと、何時でもいいからお前達の持つ『コクーン』と云う物について聞かせてくれ」
ハーティはそれだけ云うと道を歩き始めた。