第7章 <過去に傷を持つ者>

 

 あたしは夢を見ていた。それはとても哀しい夢。

 あたしは朝自分の部屋で目を覚ます。そして眠い眼を擦りながらリビングへ行くと家庭的な妹が朝食の準備をしている。

 ダイニングテーブルにはコーヒーを飲みながら姉が情報端末から今日のニュースを表示していた。

 あたしは二人に「おはよう」と声をかけるとそれに二人が応えてくれる。

 そんな日常的なとても哀しい夢……………

 

 

 シャリアが目を覚ますと、そこには刀魔の顔があった。

 その顔はいつも見せる戯けたものではなく、触れた者を総て切り裂いてしまいそうな………そんな表情だ。

「………あんたなんて顔してんのよ。そんな顔じゃ寝覚めが悪過ぎだわ」

「………すまない。俺はまた守りきることが出来なかった」

 刀魔の言葉にシャリアは今の状況を思い出した。

「そっか。あたしは………また失ったんだ」

 シャリアは右腕で目を覆う。その僅かな隙間から涙が溢れてくる。

「また………失った………これで……あたしには………何も…なくなったんだ」

 シャリアは嗚咽を洩らしながら途切れ途切れに呟く。

「………すまない。こっちの事情に巻き込んでしまった」

「………どういう………ことよ」

 シャリアは刀魔の言葉に反応し、刀魔の顔を見た。

「フィリアを殺した奴の名は…………聖刃…………聖刃・村雨。俺の弟だ」

 刀魔が憎々しげにその名を告げる。

「そして……あいつは俺から総てを奪い去った」

「…………フィリアはあたしの総てだった。あたしが生きる意味だった」

 刀魔の言葉を遮るようにシャリアが呟く。

「あたしは………もう、生きる必要がない」

「!? そんな事を云うな!! お前は生きているんだ!!」

 刀魔が言葉を荒げる。

「じゃあ、あんたは何で生きてるのよ!! あたしはフィリアのために生きていた。フィリアを生かす為に生きていたのよ」

 シャリアは流れる涙も拭おうともせずただ刀魔を睨みつける。

「…………俺はあいつを止め、あいつによって奪われた命の鎮魂の為に生きているつもりだ」

刀魔は心の奥底から搾り出すようにそう云った。

「…………何でそんなにそいつの犠牲になろうとするの?」

「犠牲?………そうかもな。俺はあいつの為に他の命が消されないように自分の命を捧げてるのかもしれない。それが俺の贖罪」

「あんたにとってそれが生きるって事なの?」

 刀魔と会話を重ねるうちにシャリアは徐々に正気を取り戻してきた。

「………俺は……生きていないのかもしれない。あの時、死んでいるべきだった」

 今度は刀魔が自分を見失う。

「あの時?」

 シャリアが俯く刀魔に声をかけると、刀魔は顔をあげシャリアを見た。そして同時に刀魔の顔が驚愕の色に染まる。

「!? 済まない。許してくれ。俺は……俺は……お前を守る事が出来なかった。…………約束したのに、お前と生きると………なのに……なのに………済まない、済まない」

 刀魔がシャリアの胸に顔を埋め、ただ虚ろに謝罪の言葉を並べる。

「刀魔? いったい何の事? ねえ、応えてよ」

 泣きじゃくる刀魔にシャリアが戸惑い、無駄だと分かっていても声をかけた。

 

 

「これはどういうことだ?」

 エルサレムへと帰ってきたエルスリードが目にしたのは、エルサレム本社の混乱だった。

「おや? そう云えば貴方は知らないのでしたね。実はエルサレム会長ザクス・エルサレム氏が殺害されたのですよ。犯人は目撃者の証言により、クルセード・エルサレム氏です」

 聖刃が実に愉快そうに応える。

「馬鹿な!? クルスはあそこにいたぞ!! それが何故?」

「それが大人の世界と云うものです、エルスリード様。私は仕事があるので、これで失礼しますよ」

 いやらしい笑みを浮かべ聖刃はその場を後にする。

「………何が大人の世界だ」

 エルスリードは聖刃の後ろ姿を見ながらそう吐き棄てるように呟く。

 エルスリードは、聖刃の姿が見えなくなると聖刃とは逆方向の通路を歩きだそうとしたが、そこに見知った顔がじっとこちらを見ているのに気付いた。

「クレオネル・エルサレムか」

「エルスリード、さっき云ったことは本当?」

 クレオが感情を出さずにエルスリードに問う。

「さっき? 何の話しだ?」

「お兄ちゃん―――クルセード・エルサレムと会ったんでしょ。何処で?」

「クアイズ」

 クレオの問いにエルスリードが言葉少なに応える。

「…………お兄ちゃんはそこにいる」

 エルスリードの答えにクレオは喜びを隠さずに呟いた。

 その姿にエルスリードは何の声もかけずに立ち去ろうとする。

「待って」

 エルスリードはその声に何も云わずに振りかえった。

「………その………有り難う」

 クレオは恥ずかしそうに云う。

「俺に礼などいらない。クルスは俺が殺すからな」

 エルスリードが表情を変えずに云うと、クレオはその雰囲気に呑まれたじろぐ。しかし、すぐにいつもの表情を取り戻した。

「その時は、ボクが貴方を止める」

 エルスリードはそこで始めて表情を崩し、楽しそうな笑みを浮かべる。

「期待している」

 そう云うとエルスリードはいつも通り、表情を消し、クレオに背を向けて歩き出す。

(誰か……俺を止めてくれ、と望むのは俺の傲慢なのだろうか?)

 エルスリードが俯きそう考えるが、すぐに顔を挙げる。

(そんなことより、今はエクスに会わなければ………)

 エルスリードはそう考え、エクスの部屋の前までわき目も振らずに訪れた。

「エクス、入るぞ」

 エルスリードは返事も待たずに中に入る。

 そこにはエクスの姿はなく、ただ暗闇だけが支配していた。

「エクス、いないのか?」

 人の気配のないその部屋に返事を期待せずに声をかける。

「誰だ?」

 その部屋に備え付けられているバスルームから声が響いた。

「俺だ、エルスリードだ」

「何のようだ?」

 エクスはそう声をかけながらバスルームから出て来る。

 暗くてよく顔が見えないがエクスはそのまま話を進めようとする。

「明かりをつけるぞ」

 エルスリードは顔が見えないほどの暗さの部屋に落ちつかなかった。

「ちょっと待て」

 エクスの静止する声も聞かず、エルスリードは部屋の明かりをつける。

 そこに立っていたエクスはいつもの黒髪ではなく、アッシュブロンドだった。

「エクス………お前………」

 エルスリードは言葉を失っていた。

「………この事は誰にも云うな。良いな」

 エクスは短く、そして強い言葉でエルスリードに云う。

「……分かった。けど、何で髪を染めてるんだ?」

 エルスリードは、人の事をとやかく云う資格などないと思いながらもそう聞いてしまった。

「俺の母親、セリア・フォルクスには伴侶がいない。それなのに俺が存在する。その辺を察してくれ」

 その言葉にエルスリードは総てを察した。不義の子。そして珍しいアッシュブロンドの髪。それが総てを語っている。

「俺の母親は『マナ工学の母』なんて云われていたが、研究一辺倒な人間でな。俺の父親に会うまでそれだけの人間だったらしい。だからだろうな、人をあんなに純粋に愛したのは。そして父もその純粋さに惹かれた」

 エクスはあらゆる感情の入り混じった、複雑な顔で呟いた。

「………何でそんな事を俺に?」

「なんとなく、お前に知っていて欲しい気がしたからな」

 エクスはそんな事を聞くエルスリードに寂しい笑顔を向ける。

「俺には弟がいた。しかし十五年前、何者かに連れ去られた。その時、俺はザクス様に呼ばれてその場にいなかった。だが、その場にいた母は殺された。いつ意識がなくなってもおかしくない傷だったのに、すぐには死ななかった。俺のことを待っていたらしい。そして最後に俺にこう云ったんだ。『エルフィードを守ってやってね』って。俺は今でもその誓いを果たせているのかわからない」

 エクスは淡々と感情を見せずに語った。感情を見せない行為が逆に痛々しさを感じさせる。

「………その云い方だと弟は見つかったみたいだな」

「………ああ、元気でやってるよ」

 エクスは複雑な表情でエルスリードの言葉に応える。

「ならなんであいつ等に手を貸す? 俺は幼い頃から駒として育てられたからしょうがないが、あんたは違うんだろ。その弟のためにもこんなことからは手をひいた方がいい」

「俺が奴らに手を貸すのは総てその弟のためだ」

「…………すまない、これは俺が口出しするべきことじゃないな」

 エクスの顔は何も変わらなかったが、エルスリードはこれ以上は立ち入ってはいけないと思った。

(………お前にも充分関係あることなんだがな)

 エクスはエルスリードに聞こえないように呟く。

「それよりも、この騒ぎはなんだ? 何故ザクス・エルサレムが死んだ?」

「これから云うことは別に信じなくてもいい」

 エクスはそう前置きをし、意を決したように口を開く。

「ザクス・エルサレムを殺したのは俺だ。いや、正確には自殺したと云うべきだな」

 エクスは淡々と語るが、その言葉の重さにエルスリードはついて行けない。

「………どういうことだ? いや、待て。大体予想はつく。あいつ等の命令だろ」

 エルスリードがついていけなかったのは一瞬で、後はすぐに答えを導き出せた。

「そうだ。あいつ等は心底破壊と混沌を楽しんでいる。人が苦しみ足掻くのを嘲笑っているのさ。………お前もそうならないうちにここから離れた方がいい」

「エクス、あんたは如何するつもりだ? そこまで分かっているなら何故、弟を連れて逃げない?」

「これが俺の贖罪、愛しき者を守れなかった俺の…………。エルスリード、俺達は何の因果かこんな力を持って生まれてきた。この力は己の心を具現化する力、お前が力を欲すればきっとそれに応えてくれる」

「………俺はそうは思わない。この力は心に反応するんじゃない。欲望に反応するんだ。破壊と殺戮、そんな悪しき欲望に………」

「それはお前が気付いていないせいだ。よく周りを見てみろ。きっとお前の望んでいるものがそこにあるはずだ」

 エクスは優しい顔をエルスリードに向ける。

「俺の………望むもの?」

 エルスリードはエクスの言葉を不思議そうに繰り返す。

「そんなもの……俺にはない」

 暫らく考えてエルスリードはそう断言した。

「そうか」

 エクスはそう呟くと、クローゼットの奥から一つの箱を取り出す。

「お前が本当に望んでいるかどうかは知らないが、前に話した強くなるための第一歩だ」

 エクスはそう云いながら箱を開ける。中には大口径のマグナム銃が入っていた。

「………こんな銃を打ったら反動で腕がいかれるぞ」

「これは弾丸を飛ばすための銃じゃない。俺達の力を弾に変える銃だ」

 エクスはそう云って壁に向かって引き金を引くと、銃口から一陣の風が吹き抜ける。

「俺達の力は拳銃と一緒だ。『意思』と云う『引き鉄』を引くことにより、その力を発動させる。だから銃は力を使いやすくする。これでもっと自分の力を磨くといい」

「…………あんたもこれを使っていたのか?」

「ああ、これは俺の母親が唯一俺に残した物だからな」

 エクスは懐かしいような、哀しいような、そして憎むような複雑な顔をする。

 

 

 クルスはそこに意図的に設けられた木陰でただ流れ行く雲を眺めていた。

「何処へ行くかは誰にも分からず、その届きそうな姿に一度は手を伸ばす。しかし誰にも触れることは出来ない。それでも何度も手を伸ばす。それが愚かなことだと知りつつも………」

「何、黄昏てんのよ、クルス」

 クルスは背後から掛けられた声に億劫に振り向く。

「シルフィアラ・アウルスロードか………何の用です?」

「用がなきゃ声をかけちゃいけない?」

「いけない」

 クルスは短くそう云うとまた空を見上げる。

「身も蓋もないわね」

 シルフィはそう云うとクルスの隣に腰を降ろす。

 クルスはそんなシルフィの行動に何も云わない。

「こういう時って普通『なんでそこに座るんだ?』って聞かない?」

「聞いたところで君なら『何処に座ろうと勝手でしょ』って云うんだろ?」

 シルフィも図星を指されて何も云えなくなる。

「こんなとこにいていいの? 講義、始まってるわよ」

「別に構わないさ。僕はここに講義を受けに来たわけじゃない」

「じゃあ、何しに来たのよ」

「ほとぼりが冷めるまでの『隠れ蓑』って奴だろ」

 クルスは他人事の様に呟く。

「そう云う君こそ講義に出なくていいのか?」

「大丈夫、休講だから」

「確か、医学部は休講じゃなかったはずだが………」

「休講よ、自主休講」

 シルフィは悪びれずにそう云うとクルスは呆気に取られた顔をする。

「君は変わってるな」

「貴方ほどじゃないわ」

 そう云って二人は顔を見合わせ笑いあった。

 それはクルスがカールスタールに来て始めて見せた笑顔だった。

 

 

「シルフィアラ、起きろ。もう着いたぞ」

 シルフィは不意にかけられた声に意識を覚醒させていく。

「………あのころの夢か……何で今更………」

 シルフィはそう呟きながらも正面のスクリーンに映し出された映像を見た。

「これが……レジスタンスの設備なの」

 まるで正規の企業に優るとも劣らないその設備にシルフィは感嘆の声をあげる。

「ま、出資してくれる企業がいるからな。そろそろ降りてくれ。お前が降りてくれないと私も降りれないのでな」

 ハーティが淡々とそう云うとシルフィはその言葉に従いガーディアンから降りた。

 シルフィはハーティが来るのを待たずにその辺を散策し始める。

 視界の隅にうずくまっている人影が見えた。

「クルス!?」

 ピクリとも動かないその姿にシルフィが慌てて駆け寄る。

 すばやく、クルスの呼吸と脈を確かめると安堵のため息を漏らした。

「………シルフィアラ・アウルスロード、か」

 クルスは目を薄く開け目の前にいた人物の名を呼んだ。

「どうしたの? 何か変よ」

 いつもと違うクルスの様子にシルフィが戸惑う。

「変なのはお前だ。この世界に『癒し』のコクーンは存在しない。なのにお前は何故ここにいる?」

「クルス? いえ、ウツロね。貴方」

「やはり俺の名を知っているか。お前は誰だ?」

 シルフィの言葉にクルスは疑念の目を向けた。

「私のことなんて誰も知らないわ。私のことを知っているのはあなたよ、クルス」

 シルフィはクルスの目をじっと見つめる。

「どう云うことだ?」

「それもあなたは知っている。今でなくてもいいわ。ゆっくり思い出しなさい」

 そう云ったシルフィの瞳に寂しげな光が宿っていた。

「そんなことより体を見せなさい。辛いんでしょ」

 クルスは素直にシルフィの言葉に従う。

 シルフィはクルスの体に触れ、『力』を解放する。

「細胞が壊死してるわね。どんな無茶をしたのよ」

 シルフィが呆れたように云う。

「別に。必要だったから使っただけだ」

「使ったって何を? フォースの『力』はそんな強いものはないはずよ。その殆どをあなた達に譲ったんだから」

「? そんなはずはない。現に俺はその『力』を使ってこのザマだ。まあ俺の体に何か欠陥があってこうなっているって可能性は捨てきれないがな」

 クルスは自嘲気味に笑みを浮かべる。

「!! そういうこと」

 クルスの言葉にシルフィが納得いった顔をした。

「クルス。これから極力『力』は使わないようにしなさい。今のあなたの体は『力』に耐えられないわ」

「どういうことだ?」

「本来私達の『力』は、ヒトに使いこなせるものじゃないわ。それを無理に何とか使える人間に託している状態なの。だからコクーンを持っている人間のキャパシティは限界なのよ。その限界の状態に、あなたはフォースの『魂』を受け入れた。だから体が限界を超えてしまったのよ。普段のあなたは表面張力で保っている水のようなもの。そこに『力』という衝撃を与え、その均衡を崩してしまった。だから体が耐えられず壊死してしまったのよ」

 クルスは瞳をゆっくりと閉じ、シルフィの言葉をゆっくりと噛み締める。

「俺には時間がないという事だな」

「時間がないわけじゃないわ。『力』を使わなければ……」

「俺の目的を知らないわけじゃないんだろ? 『力』を使わずに済むはずがない」

 話を遮る様に云ったクルスの言葉に、シルフィは押し黙るしかなかった。

「そこで何をしている?」

 沈黙を破る声がそこに響く。

「ハーティ? ハーティ・クロイアーズか!?」

「クルセード・エルサレム!? どうしてここに?」

「どうしてって……俺の目的を果たすためにここを利用させてもらってるだけだ」

 クルスが一瞬どう云ったものか迷った末に曖昧な表現で答えた。

「? 本当にクルセード・エルサレムか?」

「ま、普通そう思うよな。だが残念なことに俺もクルセード・エルサレムだ」

「ということはもう一人のクルセード・エルサレムがいるということだな」

 ハーティの言葉にクルスは肩を竦める。

「もう一人のクルセード・エルサレムはどこにいる」

「それは私も聞きたいわね」

 ハーティの質問にシルフィも興味を示す。

「どこって……ここってしか答えようがないな。ただ、やつはまだ寝ているが…」

 少し困ったようにクルスが答える。

「寝ているとはどういうことだ?」

「とても説明できるようなことじゃない。勘弁してくれ。まあ、もう少ししたらきっと起きて来るさ」

 クルスがそう言うとハーティの陰でシルフィの顔が曇ったが、そのことに誰も気付かなかった。

 

Scene2